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秋田地方裁判所 昭和36年(タ)8号 判決 1961年12月25日

判  決

本籍

男鹿市船川港町船川字片田六十九番地の二

住所

男鹿市船川港町金川字金川四十九番地

原告

小山チヤ

右訴訟代理人弁護士

西岡光子

本籍並びに住所

男鹿市船川字片田六十九番地の二

被告

小川豊

右当事者間の離婚等請求事件について、当裁判所は次の通り判決する。

主文

原告と被告とを離婚する。

原、被告間の長男豊秋(昭和二十四年九月二十八日生)の親権者を被告、長女康子(昭和二十七年一月十一日生)の親権者を原告と各定める。

被告から原告に対し金五十万円を分与する。

被告は原告に対し右金額を含めて金八十万円を支払え。

訴訟費用は被告の負担とする。

この判決は、金員の支払を命ずる部分に限り仮に執行することができる。

事実

原告訴訟代理人は「原告と被告とを離婚する。原、被告間の長男豊秋、長女康子の親権者を原告と定める。

被告は原告に対し財産分与として金五十万円、慰籍料として金三十万円を支払え。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決を求めその請求の原因として次の通り述べた。

一、原告は被告と昭和二十三年十月二十八日訴外小島フミの媒酌で事実上婚姻し、昭和二十四年三月十六日届出をした。その後夫婦仲は極めて円満で被告の両親と同居の上不自由なく暮してきたが、昭和二十四年九月二十八日長男豊秋、昭和二十七年一月十一日には長女康子が生れた。

二、被告の実父徳太郎は当時船川港で運送業を営む傍、煙草の小売業をしていたが、昭和二十四年九月頃脳溢血で倒れ原告は右徳太郎の死亡する昭和二十七年五月まで同人の面倒の一切を看てきたのであるが、昭和二十八年秋頃には被告が結核のため船川市立病院に入院し、昭和二十九年三月退院後自宅療養をしている間も絶えず看病を続けてきた。被告が昭和三十一年一月秋田県立中央病院に入院して昭和三十二年三月全快退院までも原告は二児を抱え家計のやりくり、煙草、営業等の相間に被告の看病に身を入れてきた。

三、然るに被告は昭和三十二年三月退院後原告に対し従前のような愛情を示さず、日毎に冷淡になつていつた。これは被告が秋田県立中央病院に入院中知合つた訴外五十嵐和子と情交関係を結び、その結果原告に対し愛情を喪失したものであつて、被告はその後何かと口実をかまえては右五十嵐と共に外泊したりして、原告の再三の懇請にも拘らず同女との情交関係をたたないので、原告は遂にたまりかね昭和三十五年八月二十二日被告と別居し実家に戻つたものである。

四、被告は昭和三十六年四月に至り遂には右訴外五十嵐和子を自宅に引入れ、同棲するに至つた。以上の事実は被告に民法第七百七十条第一項第一号の不貞の行為があつた場合に該当するものであるから、原否は被告と離婚を求めるものである。しかして原、被告間の前記長男豊秋、長女康子は原告を慕つているから、その親権者として原告を指定することを求めると同時に、原告は営々として十余年間家業を守り、夫の実父、又夫である被告の看病に、育児に従事してきたから財産分与として金五十万円の支払を求め、且つ本件離婚は被告の不貞な行為に基くもので原告はこれにより云い知れない苦痛を受けたから、慰籍料として金三十万円を請求するものである。

五、証拠(省略)

被告は「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決を求め、請求原因に対する答弁として次の通り述べた。

一、原告主張の事実中、一、二の各事実及び被告が訴外五十嵐和子と同棲している事実は認めるが、その余の事実は全部否認する。原告は昭和三十五年八月二十二日頃被告の留守中に老令でしかも病床にあつた老母をおいたまま被告の諒解もなく勝手に実家に戻つたものである。

二、被告は現在会社に勤務しているが、給料は年間を通じて十一万円程度に過ぎないし、その他目ぼしい財産は何もないから財産分与にも慰籍料請求にも応じ難い。

被告が仮令訴外五十嵐和子と同棲しているとしても離婚の必要は存在しないから原告の請求は失当である。

三、証拠(省略)

理由

一、(証拠)並びに弁論の全趣旨を綜合すると原告が被告と昭和二十三年十月頃事実上婚姻し、昭和二十四年三月十六日届出をして爾来被告の両親とその肩書住所において同居しその頃被告は家業である運送業に従事していたが家内円満に暮してきた。そして昭和二十四年九月二十八日長男豊秋が、昭和二十七年一月十一日長女康子かそれぞれ生れたが、長男が出生した頃被告の実父が脳溢血で倒れ原告は同人が死亡する昭和二十七年五月頃までは専ら病人の看病と育児に明け暮れしてきたものの夫婦間には争もなく過してきたこと、又その頃被告は結核にかかり昭和二十八年秋には船川市立病院に入院し、昭和二十九年三月退院後自宅療養を続けたが経過が思わしくないので昭和三十一年一月秋田県立中央病院に入院し、手術の上昭和三十二年三月にようやく全快して退院したこと、この間原告は被告の母と共に家業である煙草の小売業に従事する一方育児や、被告の看病にその日その日を追われてきたこと、被告は右秋田県立病院に入院中、訴外五十嵐和子と懇ろになり、情交関係をもつようになり、退院後は従来の原告の労苦をいたわることもなく、専ら家を外にし右同女と旅館等で逢引を重ね情交関係を続けてきたが、退院後の冷いそぶりからそれとなくこのことを原告に知られるようになり、昭和三十五年四月二十一日石訴外人のことを詰問されるや、原告を殴つたり蹴つたりする等して、その挙句三カ月余も原告と口もきかなかつたこと、原告はその後、当時被告の勤務していた男鹿海上観光株式会社の者から被告が右訴外五十嵐和子と男鹿市門前のある旅館に泊つたことを聞かされるに及んで遂にたまりかね同年八月二十二日実家である肩書住所に戻つたこと、及び被告が昭和三十六年四月に至つて右訴外五十嵐を自宅に引入れて同棲をはじめたことをそれぞれ認めることができ右認定を覆すに足りる証拠はない。

以上の事実によると被告において原告に対し不貞な行為があつたことは明白であるから、原告の被告に対する離婚請求は正当である。

二、ところで(証拠)によると原、被告間の長男豊秋は現在被告に長女康子は原告にそれぞれ養育され、右二児の監護養育のためには現状を変更しない方が良いものと認められるから民法第八百十九条第二項により長男豊秋の親権者を被告、長女康子の親権者を原告と各定める。

三、次に財産分与及び慰籍料の請求について考える。(証拠)及び弁論の全趣旨を綜合すると被告は現在月平均二万円程度の収入を有する外男鹿観光株式会社の株主として五十万円相当の株式を有し、その他家屋、畑、原野等僅かの不動産と煙草の小売による収入があるものと認めることができる。一方原告は現在職もなく実家の世話でその日を送つていることが、弁論の全趣旨から明らかである。ところで原告は先に認定したように被告との婚姻生活の大半を育児と被告の実父の看病、更には被告の結核による長期療養の看病留守宅の維持についやし、その挙句の果は夫である被告を他の女に奪われるという結末に望まざる離婚を余儀なくされているのである。しかしてこのような状態におかれたのは被告本人尋問の結果によつてもいささかも原告の非によるものでないことが明らかで、専ら被告の我儘と妻である原告に対するいたわりの心の欠如がもたらした結果と考えざるを得ない。以上の事情に諸般の事情を斟酌して考えると、財産分与として被告から原告に対し金五十万円を給付し、具つ本件の離婚による慰籍料として金三十万円を相当と認める。

よつて、原告の本訴請求を全部認容し、被告に対し金八十万円の支払を命ずる訳であるが、当裁判所は右金員の支払を命ずる部分について職権をもつて仮執行の宣言をなすを相当と考える。しかして慰籍料の支払を命ずる部分については問題とすべきものがないが、財産分与としての給付を命じた部分は元来離婚の確定をまつてその請求権が現実化すること、いわばそれが財産分与の形成判決が確定することを条件とする将来の給付請求権であることを理由に仮執行の宣言を付し得ないと考える向があるが、仮令離婚の効果が判決の確定を俟つて発生するとしても財産分与は事実審の口頭弁論の終結時を基準として当事者間の財産関係を考慮し、分与額を形成するものであるから、この形成に基く請求権の発生を将来確定する離婚にかからしめることは、上訴審における審理期間が偶然の事情により決定されることを考えると惇理といわざるを得ない。むしろ財産分与は一審判決によりその口頭弁論終結時を基準として形成され、給付請求権もその時現存するものと観念する方が制度本来の趣旨に合致するものと考えられるし、又これが民法第七百七十一条第七百六十八条に反するものでもない(従つて損害金の支払も右時点を基準として発生する。)。このように解するとこれに仮執行の宣言を付し得ることは当然である。

よつて訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八十九条、仮執行の宣言につき同法第百九十六条を適用して主文の通り判決する。

秋田地方裁判所民事部

裁判官 浜  秀 和

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